akita_is

1948年(昭和23年)東京生まれ、O型。都立農芸高等学校卒。

街に紙しばい屋、竹ざお売り、金魚売りの呼び声が響き、リヤカーが走り、都電、トロリーバスが行きかう なつかしいあの頃。

その土地で暮らし、行きかう人々の笑顔、情、におい、生活の音、等々々、そんな戦後昭和時代を生き、21世紀に入って久しい。

1950年代、私は、米国が主導する戦勝国進駐軍駐屯地前、板橋区清水町で育った。

そこは、毎年米国のナショナルホリデーの日には地元住民との交流の為に開放され、その広大な敷地の中では、見た事も食べた事もないお菓子や、オモチャが地元の子供達に配られた。
いわゆる「ギブ・ミー・チョコレート」である。
他にも、様々なイベントが催され、中でも私は兵士たちが演奏するカントリーミュージックやロックンロール、特に軍楽隊が演ずるマーチの帝王「スーザ」の行進曲に魅せられた。

そんな50’s、60’s、ラジオから流れ出る「歌謡曲」「カンツォーネ」「フレンチポップス」「スクリーンテーマ」「ラテン」「スウィング」「タンゴ」等々、あの時代、そこには今よりもずぅーーーーっとグローバルな音楽環境があった。それは、世界中から届く音楽の便りでもあった。

「日曜はダメよ」「太陽がいっぱい」等のヨーロッパ映画音楽のもつメロディやサウンド、聞いた事もない楽器の音色にワクワクし、西欧の香りを体中に感じとった事を思い出す。

そして、当時の大多数の若者と同じ様に米軍が流す「F.E.N.」に耳をそばだて「Elvis」に憧れ、ビートルズの「Yesterday」に涙した私は、あの伝説の日本武道館公演を聴き、見ることが出来た貴重な時代の体現者なのです。

最後列1800円の入場料は当時都下の三畳一間1ヶ月分の家賃に相当した。
私は幸運にも「ライオン歯磨き」を買って応募し抽選に当たったのだ。若い女性が失神するのを初めて見た。そんな彼らの出現で、その後の音楽環境が大きく変化し、巨大ビジネスへと突き進んでゆくのである。
私にとってそんな50年代、60年代に観、聴きした経験とその後のバンドボーイとして過ごした4年間が現在の私の基盤となっている。

その後、私の音楽人生を左右した一冊の本と映画に出会う。
スタンリー・キューブリック監督作品の「2001年宇宙の旅」である。漆黒の空間に浮かぶ碧い地球、そのエンディングで流れたヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」にそれまでの私の音楽感は根底からゆさぶられた。
そして洋楽かぶれのロック小僧が以降、世界遺産の様な「民謡、Folk Song、Classic、伝統音楽」の持つ魅力とその音楽世界に引きずり込まれてゆくのである。

1981年、自身の広告音楽制作会社「ハロー・グッドバイ」を設立し、本格的に音と映像の世界へ入ってゆく。

1967年バンドボーイとしてスタートした楽しい楽しい音楽人生も、2015年今年で48年目を迎えた。

ボーダーレスでありたい。ジャンルにとらわれない。精神性を前面に出したい。新たな仲間と出会いたい。
商業音楽であってもいい。人間の奏でえる最高の音世界、その瞬間と出会った時、この職業を生業とし生きてこれた事、そして、まだまだその瞬間を求め現役でいられることに感謝したい。
66歳になった今、制作、プロデュースした楽曲数は3000作を超えた。

少々永くなったが、そんな私が2001年以降 主宰するプロジェクト名であり、楽団が「団塊の世代の唄」と「Music Biscuit」である。

この二つのプロジェクトを通してやり残したこと、忘れものを探し歩き続ける覚悟はできている。
そして死ぬまでROCK小僧であり続けたい。